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  • 2019.10.23 Wednesday
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十月

 

話してみなよ、と相手はあなたに語りかけ、目の前にはコーヒーが置かれる。傍にはあなたの機嫌をとろうと――あるいは損なわないように――色のあかるい安価な菓子が添えられている。あなたはパッケージを開けようと左右に引っ張るがうまくいかず、ぎざぎざのところに手を掛けて引き裂こうとするがぎざぎざは歪むだけでうまくいかない。歯で噛み破るしか、と持ちかえたところで相手の手が伸びてパッケージをぱちんとハサミで切ってしまう。あなたは菓子をとりだすだけでいい。

 


 話してみなよ。相手はあなたに繰り返す。あなたは話すべきことを求められて戸惑う。普段のあなたはとても忙しい。だけど、こうして相手と差向いになってコーヒーが飲めるときに忙しい普段のことなど思いつかないし、もちろん無理に思い出す必要もない。ならばあなたのなかでもう物語になったこと、ずっとずっと前のことを話そうかとあなたは考える。あなたは、あなたの人生がつまらないと思われるのが嫌いだ。

 

 作り話を思いつく。あなたは、学生時代恋人から犯されたことになる。放課後の教室だった。相手から言われるまま口約束で築いた関係だった。あなたは机の上で足を開いた。恋人は三分で達した。そんなことよりもあなたは、その少し前に離任した担任教師のことで頭がいっぱいだった。先生、先生、と恋人の身体の下で思い焦がれるあなたの長い髪。あなたは髪を伸ばしたことがないけれど、ともかくそういう筋書きがあなたの中で整う。いざ。語るべく口を開こうとして、これは言葉ではあらわせない、とあなたは気づく。言葉にすればちがうものになってしまうのは、うそでもほんとうでも変わらないようだ。頭の中をプリントアウトしてみたい、といささか電子機器に親しみすぎているあなたは思い、そして口をつぐむ。伝えるには絵しかない、と思う。歌でもいい。選択肢をあれこれと広げるあなたはいさましいが、あなたは絵も歌も苦手だ。

 

 あなたがせわしなく黙っているうちに、話せといったはずの相手が話し始める。「人生をうまく生きているのは大体二月生まれだ」「みずがめ座は破局後に復縁したがる」「O型には無条件に好感を覚える」相手が話すのはあなたが話し始めるまでの間ふさぎ、もしくはあなたから話題を引き出す努力のつもりかもしれないが、あなたは相手が挙げる項目についてひとつひとつ考察をはじめる。あなたは気遣いを履き違えているが、それはあなた自身もよくわかっている。

 

 やがてあなたと相手の間に沈黙が訪れる。日の入り方が変わり、あなたはすこし眩しさを感じる。あなたの顔はさっきより目がちいさくなっているはずなので、相手はカーテンを調節してくれるべきなのだが沈黙の対策に心を砕いているせいか一向にそうする気配がない。あなたは仕方なく自分でカーテンをしめようとする。ふと、白い壁に映るあなたの影がまるでガラスを通したようにうっすらとしていることに気づく。手を伸ばす。影の上に影が重なり、あなたはあなた自身が薄まり始めているのだと考える。あなた自身よりもずっとあなたの指先のほうが影が、濃い。

 

 さてあなたと向き合っている相手は誰だったか。カーテンを半分ほど引き、あなたは残り少なくなった菓子を分け合うかどうか逡巡する。相手次第ではひとりでずいぶん食べてしまったことを詫びる必要があるだろう。だけど、あなたは構わずにパッケージを唇に当てがい、残った甘いかすまですべてのみこんでしまった。あなたが会いたいと思う人とあなたに会いたいと思うひとは大体一致しないものだから、それでぜんぜん問題はないのだった。

2012/10/11

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